コラム

2009/8

諸葛亮はスーパーコンサル?

諸葛亮はスーパーコンサル?

一年間の上海生活を終えて、昨年日本に帰国した。上海は三国志時代であれば呉の国に含まれ、市内にも呉の君主であった孫権が建立した龍華寺が今も残っている。帰国後、学生時代に読んだ三国志演義を読みたくなり、何年か振りで書棚から取り出してみた。三国志演義は学生時代の私にとって数多くの軍師や武将などの英傑が登場する魅力的な読み物であり、充分に楽しんだ記憶がある。月日を経て再びページをめくると、以前とは違った視点で、いろいろと新たな発見をすることができた。

今回三国志演義を再び手に取ってみて、ビジネス書に通じるエッセンスが多く含まれているように感じたが、これは学生時代には感じることのできなかった感覚である。弱小勢力を率いるに過ぎなかった劉備に対して、大国である魏や呉と伍するために、強国間のバランス関係を利用して活路を見出せと説いた諸葛亮(孔明)の「天下三分の計」は、弱小企業が巨大企業と競合する中で、マーケットシェアをどのように伸ばすかという戦略に通じるところがある。諸葛亮が指揮した蜀の南蛮遠征に際しては、敵の総大将である孟獲を七度捕縛したが七度許すことで、心からの服従を誓わせた物語が出てくるが、これは組織内における人心掌握の大切さを物語っているようである。また先頃「レッドクリフ」として映画化された赤壁の戦いにおいて、呉の孫権軍が敵である曹操軍(魏)の蔡瑁を計略により除いているエピソードや、遠征に敵地出身の武将を同行させる話が度々登場することは、地域戦略を考えるためには理論や文献調査だけではなく「地の利」を知ること、そして誰に聞けばこの地域の問題を理解できるのかについて、即座に見当をつけられることの重要性を説いているようにも思えてしまう。

コンサルタントの立場から読み解くと、蜀を大国へと導き、困難な状況であっても対応策を立案できる蜀の軍師・諸葛亮はスーパーコンサルタントと呼んでも過言ではなかろう。蜀の君主である劉備は、自らと諸葛亮との関係を「水魚の交わり」に例えているが、これはクライアントとコンサルタントの理想的関係と言えるのかもしれない。劉備は仁に厚いが、君主としては魏の曹操の方が圧倒的に有能と言える。しかしカリスマ性を持った劉備と天才軍師の諸葛亮が連携し、結果、時代が動いたということは確かである。

但し、ここで問題となるのは、君主と軍師が良いバランス関係を持っていたかどうかにある。例えば荊州を統治していた劉表は有能な人材を豊富に集めるが、部下をコントロールできず、良い意見を見極めることができなかったために勢力を失ってしまっている。また北方に強大な権力を有していた袁紹は田豊のような有能な軍師を抱えていたが、軍師の自己主張が強すぎたこともあって両者の関係が悪化、その助言を素直に活用できずに失敗している。

コンサルタントであっても全員が諸葛亮のようなスーパーコンサルタントを目指すことは不可能かもしれない。しかし、諸葛亮の人生を、本や理論は好きだが経験の乏しい若者が、研究員となって実地で地域再生に取り組んだ話と読みかえれば、「私にもチャンス有り?」と勘違いしたくなってしまう。

後藤 明
調査局
専門:地域振興、金融他


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