コラム

2010/1

「東アジア」の中の日本

「東アジア」の中の日本

「東アジア」に注目が集まっている。アジアの新興大国、中国とインドは早くから次代の経済パワーと目されてきたが、ここに来て、現下の世界不況からの回復リード役とまで期待されている。両国の中間に位置するASEAN(地域)も人口6億人を擁する新興パワーとして併せて論じられることが多い。アジアあるいは東アジアが世界の成長センターとして注目されている。また、鳩山首相の提唱する「東アジア共同体」については、政権発足以来、様々な角度から議論されてきている。対象とするエリアはどこか?もその一つで、ASEANプラス3(日、中、韓)であるとか、ASEANプラス6(インド、オーストラリア、ニュージランドを追加、即ち東アジア・サミットのメンバー16ヶ国)などが有力な候補とされている。

ところで、東アジアが東南アジア(ASEAN)を含めて構想されるようになったのは、それ程古いことではない。経済的・産業的な使い方としては、世界銀行が1993年に発表した「東アジアの奇跡」と題する報告書によって定着したと見られている。同報告書は、1960-90年にかけて高成長を持続した日本、NIES(香港、韓国、台湾、シンガポール)、ASEAN(のうちマレーシア、タイ、インドネシア)の8ヶ国・地域の成功要因を分析している。マクロ経済政策、人材育成(教育)などに加えて、外資導入による輸出志向工業化が大きな要因だったとしている。更に、東アジアの工業化では、日本、NIES、ASEANと序列を組んだ雁行型発展(低次から高次への工業化連鎖)が進行したことが特色であり、その原動力は、わが国製造業のNIES・ASEAN・中国に向けた直接投資、遅れてNIESがASEAN・中国に向けて実施した直接投資によって築かれた国際的な生産ネットワークである。中国は同報告書の分析対象とはなっていない。ようやく雁行隊列の最後尾に着いたばかりと言ったところであった。

それから15年余りで東アジアの様相も大きく変わった。端的には、高成長を継続した中国のプレゼンスの急拡大と、失われた時代を過ごしてきた日本の存在感の後退である。中国のGDPは今年(2010年)には日本を抜いて世界第2位になると予想されている。東アジア各国の依って立つ所である輸出を見ても、東アジア全体(ASEANプラス3ベース)の輸出に占める中国の構成比が14%(1993年)から39%(2008年)へと拡大したのに対し、日本の構成比は46%から22%へと低下している。中国が世界の組立工場としての地位を確立した結果であるが、これまた、わが国製造業の中国に対する直接投資がその原動力となっているのである。

世界的に見れば、貿易と投資を通じた経済グローバリゼーションが進行し、世界経済が大きく成長する中で、東アジアは相互依存関係を深化させてきたことになる。この間、1997年に発生したアジア通貨危機は東アジアにおける経済統合の気運を高め、結果的にはASEANをハブとするFTA(自由貿易圏)網が進展してきている。日・中・韓3国は1990年代末頃よりFTA推進に動き出した。中国はWTO加盟を果たしてすぐさまASEANとのFTA創設に合意、韓国は東アジアの枠も越え米韓FTAやEU韓国FTAの合意を果たしている。日本も日本・シンガポールEPA(2002年)以来、FTAを着々と進めてきているが、ASEAN、中国、韓国の積極外交には押され気味である。また、直接投資と両輪を成してアジア諸国の経済発展に多大の貢献をしてきたわが国ODAも、2000年まで世界第1位であったものが第5位(2007年)へと後退している。

今や時代は変わり世界の指導力はG7から新興国を含めたG20に移りつつある。上に見た変化にも必然的な側面があろう。わが国製造業は厳しい競争市場において懸命の努力を続けてきた、政府は政府で巨額の財政支出を続けて弱る内需を下支えしてきた。気がついたらここに至っていたとの感想が一般的ではないだろうか。幸いなことに、わが国は活力を増す東アジアの中にある。その活力の源泉はわが国自身が築いてきたことからしても、その活力と合流し、わが国に取り込む工夫をするほかないと思われる。

大野健一・桜井宏二郎、「東アジアの開発経済学」、1997年、有斐閣
中井浩之、「グローバル化経済の転換点」、2009年、中央公論新社

森 和之
代表取締役


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