コラム

2010/4

『エジプト点描~グローバル化に乗り遅れるのは誰か』

若者のクルマ離れ

研究員の仕事は、データ・事実に基づく分析、大胆な仮説設定と緻密な検証、パラダイムの転換を迫る報告、実行可能なプランの提示である。この過程で、個人的な印象や想像力の果たす役割は大きい。グローバル化が進み、情報が広く共有される現代でも、実際に訪問・滞在すると全く違った姿が見えてくる。

仕事でエジプトを訪れた。同国は、中東、欧州、アフリカの結節点にあり、湾岸諸国と共通の言語を話し、地理的・文化的に枢要な地位を占める。日本の約三倍の国土、ナイル川沿いに約8,000万人が住み、農業、工業、観光業などを中心としたGDPはフィリピンやアルジェリアと同規模である。人口はヴェトナムやトルコとほぼ等しく、一人当たりGDPは約2,000米ドル(2008年)と、ヴェトナムの約2倍、トルコの約五分の一で、インドネシアやフィリピンと同じレベル、購買力平価ベースではタイと並ぶ。

まず、首都カイロの交通事情に驚く。地下鉄の路線は少なく、路面電車は取り除かれ、郊外からの通勤客は都心ターミナルに集まり、ワゴン車を改造したミニバスでオフィスや工場に向かう。朝夕の渋滞の中、1980年代の車が接触寸前まで近づいて走り、信号はほとんど無く、道路横断は冒険、警笛の中、2車線道路を3台が並んで走る。伸びゆく国のダイナミズムを感じるが、ビジネス街が未整備であることもあって、欧米風の小ぎれいな理想的グローバル都市には程遠い。

我々の訪問先は、高い教育を受けた人々が指導的地位を占める政府や金融機関などであるが、街に出ると、都会でも貧富の差は凄まじい。国民の八割が貧困層と言われ、過去40年余り、食料、ガソリン、プロパンガス等への手厚い補助金政策が続いている。補助金は予算の3-4割を占めるが、パンの2割が消えるなど不正の温床となり、受益の不均衡が経済をさらに歪める。グローバル経済変動の影響云々以前の問題である。金融市場は、グローバルなリンケージが小さく、昨今の不況の影響は少ない。怪我の功名である。

ナセル元大統領が今も国民に慕われる理由は、公教育の無償化など、教育に注力したことにある。普通の階層の家庭でも学校にはきちんと通わせて、特に英語の学習に力を入れている。富裕層は大使館街にある私立小中学校に子供を送迎し、さらに欧米系列の私立大学(American University in Cairoの類)に進ませて、英語で高等教育を受けさせ、欧米、アラブのそれぞれ多様な文化に触れ、国際社会で生き抜く力を養っている。

世界のかなりの数の国で、依然として旧植民地の支配者(マスター)意識と被支配者(サーバント)意識を巧みに利用した統治がなされている。エジプトでは、EU、米、中国などの利害が錯綜し、その代弁者はさらに輻輳しているものの、その言葉の端々にアラブ共和国としての誇りが感じられる。英語が通じるが、アラビア語を学ばない輩は信用されない。西欧的な自由を謳歌しながら、国民の9割はイスラム教徒であり、女性の裁判官任用に国会議員の過半数が反対し、国際機関出身の大統領候補には人気が無いなど、複雑な思いも垣間見える。

エジプトは、今や通常の国として、自国の文化に誇りを持ち、貧富の差など様々な矛盾を抱えながらも、教育に投資し、試行錯誤を重ねつつグローバル化に対応しようとしている。翻って、はるかに経済規模が大きく、豊かであるはずなのに、高校生や大学生の海外留学希望者が激減し、皆、内向きの論理で、目先の事柄だけを考えている国は、かえってグローバル化に乗り遅れてしまうのではないだろうか。自らの理念を保ちながら、エジプトやヴェトナム、インド、トルコなど、急速に発展しつつある各国のグローバル化への取組の良い所を取り入れていくことが必要なのではないだろうか。

ところで、ギザ地区のピラミッドを近くで見ると、縦横高さ1-3メートルの直方体の石を積み、一部は日本の城の城壁のようにすり合わせてあり、近景は段々になっている。小さなfact-based analysisを丹念に積み重ねて、大きな構造物を詳細に作る、という調査研究の基本を見た思いである。5,000年の智恵は今に生きている。

泉 比砂志
国際局


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