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2012/04

危機管理と鈍感力と

奇跡の一本松
(岩手県陸前高田市)

現代では、ストレス社会の凄惨さがいわれ、私自身も晩酌を欠かさないメタボ中年になってしまいました。一般には、サラリーマンとして不可避のストレスを軽減するには、物事に鈍感であることの効能がいわれています。おそらく人間のみならず動物には生まれつき危険察知能力が備わっていると考えられ、人間にとっても太古の昔には天敵に食われないための最重要な能力であったであろうと思われます。しかしながら、現代社会においてはこの能力がかえって人間としての円滑な生活の継続を邪魔する要因になりかねないことは否めません。

一方で、最近の社会の危機管理意識の低さへの懸念もいわれています。日常生活で生命の危険に脅かされる機会が減少していく中で平和ボケが生じるのは必然ではありますが、今後大きな危機が起きない保証はどこにもありません。実際に、言い尽くされていることではありますが、平成23年3月の東日本大震災では、備えをしていてすら自然の前に無力な人間の危機管理の限界をまざまざとみせつけられました。私自身も被災地の出身ですが、想定を超える被害に向けてすべてに万全に備えることが確かに無理であろうことは、実際に現地で廃墟となった街の跡をみていて考えさせられました。しかしながら、いかに鈍感力が重要などといわれる現代であっても、常にリスクを意識し、それに対して備えることはやはり忘れ去って良いこととは思えない現実があります。何事も中庸が大事とは先人達からも言い伝えられていますが、危機管理の分野ほどこれが求められることはないのかもしれません。

事前に準備し備えておくことは、音楽を愛する方が楽譜をみて楽曲を演奏することに例えられることがあります。その場になれば当然不測の事態や変更は起こり得るわけですが、楽譜による想定なしにすべてアドリブというわけにもいきません。現場に対峙する人間の力で、現場力で乗り切るということがよくいわれますが、やはり人間将来に対する何らかの想定は必要なのでしょう。

ベルトの穴の位置が1つずつ進むたびに、自分自身の危機管理についても考えさせられます。奇跡の一本松のように、大難局を乗り切れる超越した力が備わっていれば、管理の必要性もないのかもしれませんが・・・

伊藤 陽
ソリューショングループ
ソリューション部部長


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