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2012/09

ナザールボンジュの国、トルコ

ナザールボンジュをご存じだろうか。紀元前より伝わるトルコの魔除けのお守りで、一般家庭の玄関や店舗の軒先などに普通に飾られている。日本の盛塩のようなものであろうか。私がナザールボンジュに初めて出会ったのは、2年前、2009年に仕事でトルコを訪ねたときだ。訪問先企業の受付の壁に巨大なものが怪しく光っていた。正面から睨まれているようで気圧されたのを覚えている。

トルコといえば、親日家が多く、中東で最も日本語教育の盛んな国として知られている。なるほど出張中も訪問先の企業の警備員や道行く一般人に何回も声をかけられた。声をかけてくれる人々は大概、日本語をはなせるか勉強中、あるいは、「彼女が日本人でこれから日本へ行くのだ」と熱く語る青年もいた。

そもそもなぜトルコの人々は日本人にそんなに好意的なのかというと、おおきな理由が二つあるらしい。一つ目は、1890年にオスマントルコ帝国の訪日施設団を乗せた軍艦エルトゥールル号が現在の和歌山県樫野崎沖で座礁・沈没した際に、紀伊大島の島民が懸命に存命者の救出活動をしたことから両国の友好関係が続いているとのこと。昨年には両国友好120周年を迎え「2010年トルコにおける日本年」の行事が数多く行われた。二つ目は、日露対戦の折、日本がロシアに勝利したことだとか。その当時ロシアの圧力に苦しんでいたトルコ人にとっては、日本の勝利が自国の勝利に匹敵する喜びであったと聞く。当時生まれた子供たちにはトーゴーやノギという名前が多くつけられ、現在もイスタンブールにはトーゴー通り(TOYGAR SOKAGI)が残っているらしい(自分の目では確かめていない)。

イスタンブールは、西洋と東洋文化、そして、キリスト教とイスラム教の入り混じった魅惑の都市という印象がある。その象徴的な建物としてアヤソフィアがある。アヤソフィアは、元々は東ローマ帝国時代のキリスト教の大聖堂(現在は博物館)であり、その後、オスマン帝国の統治下でイスラム教のモスクとして改築されたらしく、モスク内部の剥がれ落ちた壁のあちこちから、マリアとイエスの母子像などキリスト教時代の壁画が覗いている。また、現在は国民の大半がイスラム教信者であるイスタンブールの街の喧騒の下に、東ローマ帝国時代の地下宮殿(巨大な地下貯水槽)が静かに横たわっているのも不思議であった。

余談であるが、トルコに限らず海外出張のおり、私が心がけていることが一つある。それは、相手国の言葉と食文化を学ぶことである。滞在中は現地語であいさつし、かつ、現地の食事を一品でも多く食すことにしている。そんな時、絵や写真が沢山入っているごく初歩の会話本がとても重宝する。その国の人と心通わせる必須アイテムである。
2011年、再びトルコへ行く仕事を受託。2年ぶりに目の当たりにしたトルコの首都アンカラの街並みは飛躍的に発展していた。若い人口に恵まれ、周辺市場(欧州、中央、中央アジア、アフリカ)も含めると実に15億人市場とも言われるこの国のポテンシャルは実に大きいと思う。(完)

橋本 裕子
インフラ本部
主任研究員


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