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2013/06

産業発展と人口持続、あるいはモノとヒト

様々な論者の「これから日本はこうあるべき」という主張には、相容れない二つの派閥がある。産業発展派と人口持続派である。あるいはモノ派、ヒト派でもよい。

まず産業発展派であるが、主張のイメージは常に「比」である。投入を分母、産出を分子に置いて、その比の大小を見る。産業発展を考える場合、投入産出比をいかに大きくするかが関心の全てである。効率性や生産性は、経済学や経営学で常に最大の目的変数である。経済成長の果実は、さらなる成長への再投入が前提である。

一方、人口持続派は、安定と平等、ライフステージへの配慮が価値基盤である。先祖から引き継いだ土地屋敷に住み、長く同じ仕事をして、子育てと親の介護を行い、近所の親族関係や友人たちと困ったときに助け合う。日本人として、異なる環境にある者たちをどう処遇するか、どう資源配分し平等の条件を揃えて行くか、同胞に対して配慮する。経済成長の果実があれば、再配分をする。

産業発展派と人口持続派は現在、相容れない。投入産出比を最大化するためには、効率化を求め、労働力であれ、生産設備であれ、プロジェクトの構成パーツを次々と入れ替える必要がある。優勝劣敗で産業の集中を進める。コスト節減のために選別を進め、安いほうに切り替える。これらは人口持続の基盤を、直接掘り崩す。

農業中心の時代、産業発展と人口持続には、今のような緊張関係はなかった。土地の自然力が富の源泉で、まず如何に土地を十全に活かし管理するか、如何にそれに熟達した人々の暮らしとコミュニティが世代を超えて永続されるかが、最重要の関心事であった。この時代、産業発展と人口持続はほぼイコールだった。

やがて工業が興って、優秀な労働力の集中調達が重要となった。都市に人を集め、人口の再生産を可能とする福祉や住宅、交通、衛生などの生活インフラを整備した。その一方、混雑と高コストを避け、工場の地方分散も進んだ。産業発展派と人口持続派には公害問題などズレが生じたが、この時点ではそれでも共通の利害があった。

今や、交通・通信技術の更なる発達、知識経済による付加価値のレバレッジ化が進んだ。産業発展派にとって、もう直接の必要を超えて自国の労働者に拘る必要はない。人口の持続や再生産、さらに平等など、尚更面倒を見る理由がない。社会的コスト負担を求められるなら、出て行くまでだ。ビジネス拡大は、成長性がある海外にチャンスを求めればよい。

産業発展派は現在、とにかく焦点を資本の増殖機会に集中している。いかに制約なく、いかに高速に資本が増殖できるか。経済学の効率的市場仮説に従えば、それは最高の効率を生みだす万能のソリューションで、全てドミノ式に解決できるはずだ。そのロジックは、今や政府政策でも強く意識されている。

「均衡ある発展」は既に死語で、人口持続政策は壊滅に近い。TPP推進、小学校からの英語教育、「雇用維持型」から「労働移動支援型」に転換する労働政策。政府が望む国民モデルは、故郷に拘らず、世界中どこにでも行くコスモポリタンだ。
高速で行き来する資本と、熱してはすぐ冷める新ビジネス、あっという間に陳腐化する知識と仕事。待ち受けるのはエキサイティングな人生か、ハラハラと気を揉む人生か。

他の先進諸国でも事情は同じである。産業や投資家を引き寄せるのに躍起になる一方、少子化と貧富の差、財政危機を抱え、社会のサステナビリティに問題を抱える。
それでも日本や各国は、効率性向上を追い求め続ける。競争と相互依存から、一国だけ降りることはできない。おそらく今後も、実質GDPつまりモノが増え続ける一方、人口すなわちヒトは減り続けるだろう。
産業発展が再び、人口の再生産や成長果実の分配と同じ方向となるその日まで。


幸村 長
経営企画部
主任研究員


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